女優の野際陽子さんが亡くなられましたね。
お悔やみ申し上げます。
「野際陽子」さんの名を知らない人は日本人ではほとんどいないですが、世代などによって彼女に関する思い出はさまざまです。
なぜなら、
野際陽子さんは白黒のテレビの時代から現在に至るまで、長期間にわたってテレビで活躍して、
これまでに多くの人の感情を動かしてきたからです。
野際陽子さんが若すぎて気づかなかったこと
野際陽子さんはとても美人で、見た目もお若くて変わらないので気づかなかった人もいるみたいですが、
野際陽子さんはガチの白黒のテレビの時代から野際陽子さんはテレビに出て活躍していたんですね。
野際陽子さんは学生時代は劇団に所属していたものの、
大学卒業後はNHKに入社してアナウンサーとして社会人デビューを果たしています。
そしてなんとそれは1958年のことで、
さらに野際陽子さんは、翌年の1959年に起きた伊勢湾台風の実況レポートをしていた、ということがもう驚きです。
伊勢湾台風ってテレビの映像で見たことはありますけど、自分が生まれる前の出来事ですし、
過去の出来事というよりは「歴史」というイメージがありました。
野際陽子さんはそんな時代からテレビで活躍していて、2017年の現在に至るまで、映画やドラマでも活躍されていました。
なので、
女優「野際陽子」という名前を聞いて思い出すことは、世代によっていろいろ違ってくるんだと思います。
これは本当に凄いことだと思います。
これはあくまで個人的な印象ですが、
ツイッターなどで野際陽子さんを偲ぶ声を見ていると、
20代後半~40歳くらいだと、野際陽子さんといえば「トリック」の奈緒子の母親役
30代半ば~50歳くらいまでだと、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で息子の冬彦(佐野史郎)の母親役(姑役)
50歳前後くらいから団塊の世代までは、野際陽子さんといえば「キイハンター(
1968年4月6日~1973年4月7日)」
(中には初代「エイリアン」の主演女優のシガニーウィーバーの吹き替え声優を、野際陽子さんやってたのを思い出す人もいるようです笑)
・・・など、ハッキリと別れているように見えました。
これだけでも野際陽子さんがいかに老若男女問わず、生前にどれだけ多くの人の感情を動かしてきたかがわかりますね。
野際陽子さんの人生がすごい!
野際陽子さんがこれまでに歩んできた人生を見てみると、
野際陽子さんはいつでも、極限まで「女子力」を高めていた人だということがわかります。
そして彼女はいつの時代も、流行の最先端にいる女性たちにとっての、目標となってました。
野際陽子さんのことを検索すると、「日本で初めてミニスカートを着用した女性」という情報が出てきます。
大学を出てNHKのアナウンサーになった野際陽子さんが、
いったいどういう経緯でミニスカートを着用するようになったのか気になるところですが、
まず言えることは、野際陽子さんが女性ファッション(流行)の発信源となっていたということです。
そして
野際陽子さんがその地位に上り詰めるきっかけとなったのが、「女性専科」というお昼の情報番組だったそうです。
この画像はNHK時代のものかもしれませんが、めちゃくちゃかわいいですね。

野際陽子さんは1962年(昭和37年)3月にNHKを退職して広告代理店に転職しました。
その3か月後に、このTBSの「女性専科」の司会を務めることになったんですね。
この番組は放送時間が昼間なんですが、かなり過激な女子トーク番組だったそうで、
「亭主不要論」などの過激な思想(笑)を掲げて、男性をボロカスに言う回もあったそうです。
当時はそんな番組内容が新鮮で人気もあったみたいですが、
その司会である野際陽子さんにももちろん注目が集まり、
「NHKにこんな美人のアナウンサーいたか?」

と、男性も注目するようになったそうです。
さらに、TBSはそんな男性の目線を意識したのか、
「女性専科」の司会である野際陽子さんにけっこうな無茶ぶりをしていったみたいです。
たとえば、
「女性専科」で香港の女性を取り上げる回では、来日中だった香港の歌手を番組に呼んで、
野際陽子さんがインタビューをしたんですが、その時の野際陽子さんの服装は「チャイナドレス」だったそうです。
もちろん、チャイナドレス特有の切れ目からは脚が出ています。
平成になった今でこそそんなに珍しいものではないですが、当時の昭和の時代にこれはそうとう刺激が強かったみたいですね。
そりゃ世の中の男性は注目しますよね。男性とはそういう生き物ですから。
そういった経緯があり、
野際陽子さんは「女性専科」の司会を務めてから有名になり、
女優業にも興味を持ち始めて、東映の映画にチョイ役で出演するようになりました。
でも
野際陽子さんは「女性専科」の司会を辞めてから1966年(昭和41年)2月から1年間、パリに留学します。
野際陽子さんはソルボンヌ大学で古典仏文学の授業を受けながら、アリアンスフランセーズにも通ったそうです。
ソルボンヌ大学は1150~1170年あたりに創設された、
ボローニャ大学やオックスフォード大学などと共に、ヨーロッパ最古の部類に入る大学です。
アリアンスフランセーズはフランスの文化や言語の教育機関です。
これもまた、平成となった今でこそ珍しくもないですが、
昭和41年にフランスのパリに留学する女子とか、当時の「女子力」をブッチギリで振り切ってます。
- NHKのアナウンサーを経て、
- TBS「女性専科」の司会で有名になり、
- 映画出演デビューを果たし、
- 世界のファッションの最先端であるパリに留学
どう考えても凄い経歴ですね。
そして野際陽子さんは、
1967年のパリからの帰国の際に、フランスのブランドのミニスカートをはいていたんですね。
チャイナドレスの次はまさかのミニスカート・・・
昭和42年の日本で、女性が脚を露出するファッションなんて非常識すぎですし、野際陽子さんは相当叩かれんじゃないでしょうか。
でも、
野際陽子さんの、それまでの常識や固定観念を崩していく姿勢は、日本にいろんな変化をもたらしたはずです。
そして
そのミニスカート事件の2年後の1968年から、野際陽子さんテレビドラマ「キイハンター」に出演して、女優としての地位を確立させました。
「キイハンター」は1968年から5年間放送されて、視聴率30%を記録したこともあったみたいですね。
しかも主題歌も野際陽子さんが歌っています。
さらにその4年後の1972年(昭和47年)には、共演していた俳優の千葉真一さんと婚約して
1973年に結婚し、1975年には長女(真瀬樹里sだん)を出産します。
出産当時、野際陽子さんは38歳だったんですが、当時の芸能人の高齢出産最高齢記録だったそうです。
その事実からも野際陽子さんの、それまでの常識や固定観念を崩していく姿勢を感じますね。
そこからの野際陽子さんの活躍は周知のとおりです。
改めて調べると、
野際陽子さんは日本の女性のファッションや考え方に、大きな影響を与えてきた人物だということが分かりますね。
野際陽子さんはいつから病気だったの?
そんな野際陽子さんがガンと診断されたのが2014年(平成26年)のことだったそうです。
初期の肺腺癌と診断されて手術をしたんですが、完治させることがかなわず、
2015年(平成27年)に再発してから摘出の手術を何度か受けていたんですね。
そして2017年(平成29年)5月に肺炎にもかかり、
入院したんですが容態は回復せずに2017年6月13日に帰らぬ人となってしまいました。
享年82(満81歳没)です。
肺腺癌は、喫煙との因果関係が薄くて発生頻度も喫煙率の低い女性の方が高いので、他人事にできないガンでもあります。
初期段階では自覚症状が感じることはないそうで、発見が遅れるケースもあるんですが、
定期的ながん検診や健康診断などのエックス線画像から偶然見つかるケースが多いそうです。
野際陽子さんは運良く初期段階で肺腺癌が見つかったはずなんですが、どういった経緯なのか、
転移が起きて症状が悪化してしまったんですね。
肺腺癌が見つかってからも野際陽子さんは女優としてのお仕事をこなしてテレビにも出演されていましたが、
想像を絶する忍耐を強いられていたんでしょう。
今思うとなんともやりきれないですね。
まとめ
いつまでもいると思うな親と・・・という言葉がありますが、野際陽子さんが亡くなられた、というニュースを見て
心にポッカリ穴が開いたような感覚に陥った人もたくさんいたんじゃないでしょうか。
長期間にわたって活躍した人ほど、テレビで見かけて当たり前、そこにいて然るべき、と思われるものです。
でもある日突然そんな人が目の前からいなくなると、大切なものを失ってしまった、さみしい、という感情が湧いてきますね。
野際陽子さんに限らず、昭和の日本を盛り上げたスターたちの訃報は毎年のように流れてきますが、
彼らは今後もずっと映像の中に残って行きますし、作品の中で生き続けることになります。
そう考えても本当に凄い人生を送られていまね。まじで尊敬します。
あらためて
野際陽子さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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